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映画「インセプション」評 町山智浩×宮台真司×神保哲生

ビデオニュースドットコムより映画「インセプション」評 町山智浩×宮台真司×神保哲生


まずは町山さんから軽くストーリーについての説明。

町山「産業スパイのコブ(ディカプリオ)が情報を盗み出すために夢を設計し、対象と自分が同じ夢を見る。夢の中で情報を盗み出す。
サイトー(渡辺謙)はコブにある大企業の跡継ぎにその企業を潰させるような記憶をインセプション(植え付け)させる」


神保「おもしろい話だと思うが、そもそも夢の共有いうのがバカバカしい。脳を繋げるのならそのまま情報を抜き出しちゃえばいい」

宮台「最近の宮崎駿を見れば分かるけど、荒唐無稽さに充ち満ちている。
ディカプリオのチームは三層の夢を構築する。一層はワンボックスカーの落ちるスロー。あの無重力状態が第二層に影響している。本当の夢もそうでしょ。第三層でインセプションに成功して第一層まで上がらなきゃいけないんだけど、渡辺謙は落ちてしまう。
冒頭とラストの渡辺謙が老人になっているシーン。あれが第四層、第五層。
渡辺謙を救出し、全員で上がって全て解決に見えるラストもそれ自体が夢である可能性を残している。ユングは『全ては体験に過ぎない』神秘的な体験も全ては体験であると。
マトリックスでも『覚めない夢なら夢でいい』というサイファという男が出てくる。
ディカプリオは全ての構造を知っているので、確信犯的にラストの家族に会いに行くという夢に留まっているのではないかと思った」

神保「もう一つは産業スパイの話だけど、

町山「現実として見ていた第一層の上の上の部分も夢ではないかという無限後退を見せることが目的。哲学にはあった。フィリップ・K・ディックの小説がそう。トータルリコールのラストも火星で大活躍した後画面が真っ白になる。それが現実ではないという可能性を示している」

神保「興行的にも成功?」

町山「大成功。アメリカでも。マトリックスもそうだが、今生きている世界が現実ではないかもしれないという考えが無意識的に共有されているのかもしれない」

宮台「うちの子供に聞かれる。『なぜ世の中には悪人がいるの?神は全能なのに世界になぜ悪や不条理があるの?』ダークナイトは逆。なぜ世の中にあるはずのない善なるものがあるの?と解いかけたのがジョーカー。その意味論に押しつぶされていくのがバットマン。悪の方が合理的で自然なのではないか?なのになぜ善でいようとするのだろうノーランはある種の直感を構造化する天才だと思った」

神保「日本ではヒットしなかった」

町山「日本に善悪論がないからかな」

宮台「ゾロアスター教は善悪があり、どちらが勝つかは分からない。キリスト教はそれを否定し、悪は神の計画であるという考え」

町山「ドストエフスキーなんですよね。ジョーカーがデントに『裏切り者を殺したいだろ』と問うシーンは『カラマーゾフの兄弟』」

宮台「新幹線のシーンもポスプロの加工で模型が走っているようにしか見えない」

町山「トゥモローワールドなどドキュメンタリーチックに撮られたものでも手持ちのブレなどプログラムで作れてしまう。もはやドキュメンタリーですら本物の映像分からなくなってきている」

神保「カメラマンは揺れずに撮ったのに。それは怖いね」

宮台「インセプションのような構造のシナリオをかける人は日本にいない」

町山「押井守のビューティフルドリーマーに近い。あれは画期的だった。あの時代に長編映画であれをやったのはない」

神保「今回はインセプションの一番悪い見方をしてしまった。ドキュメンタリーの後に見たのが悪かったのかも知れない」

宮台「ポニョの後に見れば良かった」



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[ 2010/08/03 21:55 ] 映画 | TB(1) | CM(0)

クリストファー・ノーラン 『インセプション』 町山智浩 評

7/28ロフトプラスワンにて行われた『町山智浩帰国トークライブ』あらクリスファー・ノーラン最新作『インセプション』の批評部分についてのダイジェスト。

最も印象に残ったのはパリでエレンペイジにディカプリオが夢の設計を教えるシーン。
これはマトリックスのモーフィアスとネオのシーンに似ている。マトリックス以後の作品ということ。

パリのシーンの橋は『ラストタンゴ・イン・パリ』の冒頭シーン。マーロンブランドは妻を失ったマーロン・ブランドが「FUCK」と叫ぶ。

インセプションは妻を失った男の話。
現れる妻の姿はプロジェクション(投影)であり、産業スパイのディカプリオの敵として立ちはだかる。

何故ノーランはこの映画を作ろうと思ったのか?
タルコフスキーの『惑星ソラリス』という映画がある。
細胞でできた巨大な脳味噌で出来た惑星ソラリス。調査に行った主人公の前に死んだはずの妻の姿が現れる。その姿は主人公の記憶の中の妻の姿。何度も殺すが、妻は蘇ってくる。

これはSFのようで実は幽霊物である。つまり四谷怪談。幽霊話とは死者に対する罪悪感の現れなのではないか?

それをそっくりやったのがインセプション。
インセプションの無重力シーンも惑星ソラリスと共通する。

インセプションの評論は国内でも数多く出ているが、『惑星ソラリス』『ラストタンゴ・イン・パリ』との共通性を指摘した人がいたか?

他の映画との関係性を語らない評論は映画の評論ではない。映画とは他の映画との関連性で出来ている。なぜなら映画には作者の映画体験が現れるから。
それがないのが堤幸彦。(会場爆笑)
彼には映画に対する愛が全く感じられない。

『イレイザーヘッド』の冒頭シーンと『素晴らしき哉、人生』の共通性を指摘。
どちらも神が人間の人生を支配しているという話であった。
これに気付いたのはたまたまだが、こういうことに気付くくらい映画を観なければ映画評論家とは言えない。

インセプション(植え付け) 「これは現実ではないかもしれない」という植え付けをしてしまうことの罪。映画では『キャリー』が最初。フィリップ・K・ディックの小説。
そして『うる星やつら~ビューティフル・ドリーマー』これは無限後退。

最近ではマトリックスがそう。実はこの世界は夢なんだよという話。『胡蝶の夢』の引用もある。
マトリックスを観て、自殺した人もいる。銃撃事件も起こった。この世界が夢なら人殺ししても大丈夫だから。

それに対する自己反省的な要素もある。

産業スパイの部分は実はどうでもいい部分「マグガフィン」である。ストーリーを進めるためだけのものである。

インセプションという行為で無限後退が生まれてしまう恐怖を表している。あのラストもそういうこと。
無限後退の恐怖で言えばシベリア超特急である。(会場爆笑)
事件が解決した後、カットがかかりスタッフが映る。メタ構造である。エンドロールがかかってもまた始まってしまうのではないかという恐怖感がある(笑)

だから、インセプション=シベリア超特急である!









[ 2010/07/29 18:00 ] 映画 | TB(0) | CM(0)

ギャスパー・ノエ監督「エンター・ザ・ボイド」

先日シネマート六本木で行われた試写。

上映終了直後PS3のメニューのような画面に、実はブルーレイ上映でした。
道理でちょっと黒浮いてるなと思った。むしろプロジェクターの性能だろうけど。


~TOKYO。繁華街の裏通り。オスカーとリンダの兄妹は、街のネオンサインを臨む古いビルの小さな部屋に二人で暮らしていた。
あてもなく日本にやってきたオスカーは定職を持たず、日々ドラッグに溺れながら、ジャンキー仲間の紹介でディーラーをして金を稼ぎ、
最愛の妹リンダを日本に呼び寄せたのだった。
リンダは兄との再会を喜び、東京での生活を楽しんでいたが、やがて夜の街で知り合った男マリオに誘われ、
ストリップ劇場のポールダンサーとして働くようになっていた。~公式サイトより


序盤から主人公の主観での長回し。実は全編主人公の主観の映像なのである。
通常の映像文法ではなく、主観と俯瞰、そして頭越しの映像でほぼ構成され、生前・死後・回想を分けている。


主人公が母を失って背負った強烈なコンプレックス。彼はそれを妹リンダに、友人の母親に、そして、ドラッグに求める。そして、死後のトリップの末彼の願いは叶えられる。


Enter the Void=無に入る 死は無 無は穴 そして穴に入り再び生まれる。


この映画は母性を探す旅である。だから出てくる女は全員巨乳だ。
巨乳好きな男と何故男が巨乳好きか知りたい女が観に行く映画ということでよろしいか?


ギャスパー・ノエ監督「エンター・ザ・ボイド」5/15より公開
[ 2010/05/13 18:27 ] 映画 | TB(0) | CM(0)

暴力脱獄

暴力脱獄
Cool Hand Luke
監督 スチュアート・ローゼンバーグ
製作 ゴードン・キャロル
脚本 ドン・ピアース
フランク・ピアソン
出演者 ポール・ニューマン
ジョージ・ケネディ
J・D・キャノン
音楽 ラロ・シフリン
撮影 コンラッド・L・ホール
編集 サム・オースティーン
配給 ワーナー・ブラザーズ
公開 1967年11月1日


戦争中は人殺しを許され、勲章まで貰った主人公ルークだがパーキングメーターを破壊して2年の刑務所送り。その刑務所の中では看守だけではなく囚人までも自分たちの規則を作っていた。ルークはそれをクールに受け流し、一度は反発を買うも段々認められるようになる。ある日母親が面会に来る。それをきっかけにルークは少しずつ前向きになり、囚人達の中心となる。だが、母親の死の知らせを受け、さらに逃亡を警戒した看守達に懲罰小屋へ入れられた彼は脱獄する。2度の脱獄の後、彼は徹底的に罰を受ける。だが、彼は反省したフリをして再び脱獄する。行き着いた教会で彼は神に問う。神が人間を創ったのなら、何故この世界には人間が人間を縛る規則やルールがあるのか?何故縛られ続けていることに疑問を抱かないのか?神からの答えはなく、彼は看守(ゴッドフリー)に撃たれる。しかし、囚人達にとって彼のクールな笑顔は希望であり続ける。




[ 2010/02/02 22:16 ] 映画 | TB(0) | CM(1)

松本人志「しんぼる」

メキシコパートと松本パートの2つで構成された映画。メキシコパートは覆面レスラーの家族の日常。家でも覆面姿のレスラーがどこかシュール。弱いレスラーの(父親?)を持つ息子の健気さもよく、学校でそのことでいじられる描写とその後のプロレスの試合シーンは次の展開が楽しみになる。

一方、松本パートは松本人志演じる男が真っ白な部屋に閉じ込められている。壁に無数にある男の「しんぼる」型のスイッチを押すと物が出てきたり、水が頭にかかったりと何らかの仕掛けが作動するようだ。
簡単に言うと映画「キューブ」の笑い版といった感じに近い。と、ここであるスイッチを押すと壁に扉が現れる。しかし、すぐ閉じてしまう。ここから脱出に向けて試行錯誤する。ちょっとゲーム「ゼルダの伝説」っぽい仕掛け。交互に語られるこの2つのストーリーがどう絡み合うか期待が高まるが、ほぼ想像の範囲内で終わってしまった。非常に残念。

松本パートは一人コントっぽく、いわゆるコントの松本人志の延長と行った印象でどうもこの辺に映画になりきらない感じがある。本人も言っていたが本当は誰か違う俳優を使いたいのだと思う。あるいは北野武の様にお笑い以外の役を演じて一端イメージを拭い去らなければならないのかもしれない。
また、演出と編集も荒く、表情が繋がっていなかったり、壁の開く時間がまちまちだったりが気になる。スイッチの場所を何度も間違えるのも少々バカ過ぎる。

打って変わってメキシコパートはプロレスシーンを含め上手い撮り方。2ndユニットの表記があったのでそのせいかもしれないが、こちらは期待感を高まらせた。が、ただあのオチでラストとは…。 前作「大日本人」は良くも悪くも予想を上回る展開であった。またヒーローの日常をドキュメンタリーで描くといった視点もおもしろかった。この作品でも覆面レスラーの日常を描くのかと思いきや、そうはならなかった。せめてもう一ひねり欲しかった作品であった。


追記:好意的に解釈するとちょっと深読みかもしれないが、あの仕掛けは他者がリアルタイムで介在している様に思える。つまり人間の上の存在が松本をあの部屋に入れて遊んでいるのだ。そして次の「実践」の部屋で現れるスイッチは世界のあらゆるきっかけに作用している。彼はそのスイッチを押しながら壁を駆け上がり、遂には宙を舞いスイッチを直接押さずとも操作できる様になる。髪や髭は伸び、どこかキリストの様な容姿になり、たどり着いた先は「未来」の部屋だった。彼の前に現れた一際大きな「しんぼる」を押すと一体何が起きるのだろうか?と言うところで映画は終わる。
「あなたの信じる神さえもまた、誰かの手のひらで踊らされている存在なのかもよ」と解釈するとしっくりくる。(そういえば、メキシコパートでもキリスト教的なモチーフのカットが随所に出てきた)

とまあ、哲学的な所までいっているのだが、いかんせん映像的な表現力が弱い。予算規模的な問題もあると思うが、ラストはもっと(例えばキューブリックの様に)映像表現で圧倒しないと、観客の思考はそこまで達しないのではないか?


[ 2009/10/14 01:59 ] 映画 | TB(0) | CM(0)














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